J-PARC News 第241号
≪Topics≫
■ ミュオン※Hライン・H2エリアへのビーム取り出しに成功
物質・生命科学実験施設(MLF)では、大強度ミュオンビームラインであるHラインを分岐・延長した新たな「H2エリア」へのミュオンビームの取り出しに、初めて成功しました。このHラインの延長については、変更許可に係る施設検査を受け、2025年5月13日付けで合格となりました。
H2エリアでは、Hラインが供する大強度ミュオンビームを減速・再加速することで指向性の高いミュオンビームを生成することを目指し、ミュオン加速装置の建設を進めていきます。将来はビームラインをさらに延長し、ミュオン異常磁気能率の精密測定による素粒子標準理論では説明できない物理現象の発見や、透過型ミュオン顕微鏡を開発し、物質中の電磁場分布の可視化による産業応用などを目指していきます。
※ミュー粒子のことを「ミュオン」または「ミューオン」と表す。
■ 受賞
(1)2024年度 日本中間子科学会 技術賞を受賞
ミュオンセクションの河村成肇氏と山崎高幸氏が、Hラインの設計・開発を完遂した業績により、2024年度 日本中間子科学会 技術賞を受賞しました。
J-PARC MLFのHラインは、大強度で汎用性の高いミュオンビームラインとして設計・開発され、毎秒108 個のミュオンを供給することで、ミュオニウムの超微細構造やミュオンの異常磁気能率といった精密測定を可能にしました。この革新的な設計は、PSI(スイス)やCSNS(中国)で開発が進む新しいミュオン施設でも採用され、さらにMLFの将来計画でも発展形が検討されています。
(2)2024年度 日本中間子科学会 学会賞を受賞
ミュオンセクションの髭本亘氏が、中間子科学の進歩発展に寄与し、その業績が顕著であるとして、2024年度 日本中間子科学会 学会賞を受賞しました。
髭本氏は長きにわたり、ミュオンスピン回転・緩和(µSR)法を用いて重い電子系超伝導体などを対象とした物質研究を推進してきました。さらに、極低温や高圧下などにおけるµSR実験法に関する研究開発にも取り組んでいます。今回の受賞対象となった超伝導の発現と磁性の相関に関する研究や時間反転対称性が破れた超伝導状態の検証などのように、磁気に対して高い感度を有するµSR法の特色を活かした髭本氏の研究は、今後も様々な物性の発現機構を解明していくために重要な役割を果たすものと期待されます。
■ プレス発表
(1)燃料電池の未来を拓く-触媒層内の“水”を定量的に評価する新手法の確立 -(4月17日)
水素を燃料として利用する固体高分子形燃料電池(PEFC)の発電特性は、燃料電池内部の水の挙動と密接に関連しており、その制御は極めて重要ですが、触媒層を構成するアイオノマー(イオン伝導性高分子)中の水の挙動を明らかにする方法は限られていました。
本研究ではJ-PARC MLFの中性子小角・広角散乱装置「大観」とJRR-3の中性子小角散乱装置「SANS-J」を使用して、PEFC内部の触媒層内のアイオノマー中の含水率を評価する方法を確立しました。この手法により、相対湿度が増加すると、触媒層のアイオノマーが水を強く保持することが明らかになりました。
本研究で開発された評価法により、燃料電池の触媒層内のアイオノマーの含水率をより短時間で正確に定量化できるようになりました。燃料電池の性能向上に向け、触媒層の材料開発と運転条件の最適化への応用が期待されます。
詳しくはこちら(J-PARC HP)https://j-parc.jp/c/press-release/2025/04/17001501.html
(2)遠心力が作る量子状態の測定に成功〜 等価原理の検証と未知短距離力の探索へ(4月28日)
宇宙の物理法則を最も基本的なレベルで理解するには、一般相対性理論と量子力学の統一的な理解が必要です。しかしこの両者は扱うスケールが著しく異なるため、両者を同時に検証する実験方法は限られていました。
本研究では、MLFの中性子光学基礎物理実験装置「NOP」で生成されるパルス状の冷中性子ビームと、精密に研磨された凹面鏡を使って実験を行いました。その測定値と理論計算値を比較したところ、遠心加速度が地球重力の700万倍の状況でも量子力学が正しく成り立つことを検証することができました。
パルス中性子源を用いた遠心加速度による束縛状態の観測は世界初であり、本研究により基礎物理実験における精密測定の新たな手法が確立されました。今後測定の技術を高めて地球重力による量子状態との比較を進めれば、一般相対性理論の基礎である等価原理が量子力学で成り立つことをさらに高い精度で検証することも可能であり、その精度を活かして、未だ理解の進んでいない到達距離10nmの未知の相互作用の探索も期待されます。
詳しくはこちら(J-PARC HP)https://j-parc.jp/c/press-release/2025/04/28001508.html
■ J-PARCハローサイエンス「中性子でのぞく電池の中のミクロワールド」(4月22日)
中性子利用セクションの森一広氏が蓄電池の材料研究について紹介しました。
電気自動車用の革新型蓄電池の研究開発は、経済産業省をはじめ国内の様々な企業や大学、研究組織が一丸となって、取り組んでいるプロジェクトです。革新型の蓄電池として、現行のリチウムイオン電池に代わり、安心・安価な材料で高いエネルギー密度を可能にする、全固体フッ化物電池に注目が集まっています。
イオン導電率が低いとされるフッ化物ですが、カルシウムとバリウムを一定の割合で混合させると導電率が数桁上昇します。導電率向上のメカニズムをMLFにある特殊環境中性子回折装置「SPICA」の中性子回折から原子レベルで解明し、イオン半径の異なるカルシウムとバリウムによって生じる結晶構造の歪みがカギであることを突き止めました。
森氏は、カーボンニュートラルの実現に向け、引き続きオールジャパンで蓄電池の研究開発に挑んでいきたいと話しました。参加者から大きな興味が寄せられ、蓄電池の材料や電気自動車に関してなどたくさんの質問がありました。
森氏のプレス発表(J-PARC HP)https://j-parc.jp/c/press-release/2024/09/06001392.html
■ J-PARC出張講座
(1) 津山工業高等専門学校(5月1日)
津山工業高等専門学校で本科3・4年生を対象に、「ミクロの世界を見る加速器の仕組み ~素粒子現象から巨大構造物まで透視するミューオン加速技術~」と題する講演を加速器ディビジョンの大谷将士氏が行いました。
講演では、加速器の原理と、産業・医療といった広い分野への応用利用について紹介しました。
次に、古代ピラミッドの秘密の空間の発見や、火山内部の透視に利用されている素粒子ミューオンについて取り上げ、J-PARCで人工的に大量生成したミューオンを用いた研究や、最新の技術開発・研究展開について紹介しました。
また、講演終盤には、高専生による小型加速器製作~AxeLatoon(アクセラトゥーン:加速器を意味するAcceleratorと新芽を意味するRatoonに由来する造語)~を主体とした社会連携事業の取り組み事例について紹介しました。
受講前後には質疑の時間を設け、講義で紹介した重イオン照射によるがん治療に加え、他の医療応用に関する質問や、KEK・J-PARCでの研究生活についての質問も寄せられました。
これらの質疑応答を通じて、加速器に関する分野でのキャリアパスや将来の進路を意識する学生も多く見られ、講義内容が進路選択への動機付けにもつながっている様子がうかがえました。
(2) 私立晃華学園中学高等学校(5月7日)
中学1年生から高校3年生までの女子生徒約900人に対し、小林隆センター長と共通技術開発セクションの柴崎(舟生)千枝氏が講義をしました。柴崎氏は幼稚園から高校まで晃華学園に在学し、大学卒業後も7年間、同校で理科の教鞭をとっていました。柴崎氏は、晃華学園での思い出から始まり、理科の教師をして得られたこと、そして研究の道に入ったきっかけなどを述べ、最後に現在研究している中性子を使ったタンパク質の結晶構造解析について紹介しました。その後、小林センター長が、J-PARCの概要を説明し、宇宙や生命に関する最先端の研究について紹介しました。
講義後、生徒たちからは「宇宙人はいる?」「ビッグバンを人工的に起こすならどこがいい?」「長い分子を編んでスパイダーマンに出てくるクモの糸を作ったら?」など、いかにも科学に興味を持った中高生らしい質問や新しいアイデアを、たくさんもらいました。一方、「最も興味を持った内容」についてのアンケート結果は、「女性のキャリア・生き方」がトップになり、女子校らしい一面も垣間見ることができました。また、「以前からJ-PARCを知っていたか?」という問いには9割以上が「知らない」と答えたのに対し、「今回の講義でJ-PARCに興味を持ったか?」という問いには8割以上が「はい」と答え、今回の講義に手ごたえを感じました。
(3) 日立市諏訪小学校(5月13日)
日立市立諏訪小学校の5、6年生80名を対象に、「見えない真空を見てみよう」というテーマで出張授業を行いました。日立シビックセンターが企画する科学教室として開催されたもので、J-PARCセンター 加速器ディビジョンの諸橋裕子氏が講師を務めました。
風船やお湯、マシュマロなど身の回りにあるものを使っての真空実験は、目の前で変化が起こる度に歓声が上がりました。
参加した児童や先生から、「真空砲の迫力に驚いた」「水がコップの中に吸い込まれていったのが不思議で面白かった」「教科書でしか見たことの無かった現象を実際に見ることができてとてもいい経験になった」といった感想を聞くことができました。
(4) 放送大学ライブラリー講演会(5月17日)
放送大学茨城学習センターでは、「ライブラリー講演会」と称して、茨城県立図書館で年間9回の講演会が行われています。今年度は第1回として、小林隆センター長が「茨城が誇る世界最強加速器J-PARCでさぐる宇宙と物質の起源」と題し、J-PARCの研究内容をわかりやすく講演しました。参加者は50名を超え、メモを取りながら熱心に聴講しました。
講義後には、聴講者から、「どうしてニュートリノと反ニュートリノを区別できるのか?」「宇宙からのニュートリノと、J-PARCから発射したニュートリノを神岡ではどう区別するのか?」などの質問があり、小林センター長は大きなスクリーンに映し出された資料を指しながら、「反ニュートリノは、スピンの向きが逆である」「J-PARCからのニュートリノは発射時刻を正確に測定しているので、神岡の到着時刻も把握できる」と回答をしました。
■ ミュオンでコーフンクラブ 2台目の測定器が完成(4月27日)
昨年11月から研究者や大学院生の指導のもと、小中高生31名が製作していたミュオン測定器2号機がついに完成しました。この日は東海村歴史と未来の交流館に18名の参加者が集まりました。J-PARCの藤井芳昭氏の解説に基づき配線作業、天井パネル取り付けを行いました。その後、稼働試験を行ったところ、無事、歴史と未来の交流館に降り注ぐ宇宙線ミュオンを観察することができました。
この測定器は子どもたちの投票によって「歴史と未来の測定器2号」と命名されました。今後、舟塚古墳群2号墳に設置し、「歴史と未来の測定器」1号機と2台体制で古墳透視を進めていきます。
■ KEKがニコニコ超会議2025に出展(4月26日〜27日)
幕張メッセ国際展示場で開催された「ニコニコ超会議2025」に「超KEK」と銘打ってKEKが3年連続でブースを出展しました。ニコニコ超会議は、株式会社ドワンゴが運営する日本最大級の動画サービス「ニコニコ」のユーザーが主体となり、ネットとリアルの両方で開催する文化祭で、今年は132,657人が来場しました。
今年の超KEKのテーマは「加速器」。実際に研究に使われた加速器の一部をブース内に展示して内部を覗けるコーナーを設けたほか、「真空チャレンジ」ゲームや謎解きイベントなどを行い、体験型の企画を通してKEKやJ-PARCで行われている研究を知っていただく機会を提供しました。
また、「超KEK生放送」として2日間で研究者・技術者らによる9つのトークショーが行われ、インターネットで生配信されました。その中でJ-PARCで行われている研究のトークとして、物質・生命科学ディビジョンの梅垣いづみ氏は「超レアな量子ビームで蓄電池を切る!〜ミュオンビームの巻〜」、森一広氏は「超レアな量子ビームで蓄電池を切る!〜中性子ビームの巻〜」と題したトークを行い、J-PARCのミュオンおよび中性子という異なる量子ビームを用いて、蓄電池内部の状態を可視化する最先端の研究について、専門的な内容をわかりやすく紹介しました。蓄電池という身近なテーマだったこともあり、来場者や視聴者から多くの質問が寄せられました。
このほか、KEKの有志の研究者・技術者で結成したチームが「超ニコ四駆2025」の企業対抗戦に参加し優勝したほか、SNSキャンペーンの展開、茨城県ブースのステージで「いばらき若旦那」のメンバーに真空チャレンジに挑戦していただくなど、KEKやJ-PARCを知っていただくきっかけを作ることができました。
■ ご視察者など
5月23日 ドイツ連邦教育・研究省 アジア・オセアニア協力課長 他
J-PARCさんぽ道 58 -「PARK」と「PARC」-
J-PARCの各施設は広大な敷地に点在し、通勤も各施設との間の往来も、多くは車に頼らざるを得ないのが実情です。そのため、建屋の周辺には駐車場、すなわち「Parking」が整備され、建屋や敷地の制約により、さまざまな形をしています。J-PARC研究棟の海側の駐車場は一列に並び、MLF建屋の海側にある駐車場は放射状に広がります。
直線状に作られた駐車場を見ると、J-PARCのリニアック加速器を連想することができます。2つあるJ-PARCの陽子加速器のうち、一番上流に位置するリニアックだけが直線状の加速器です。リニアックは次から次に発生する陽子を素早く加速するため、ほぼ全体が陽子を加速する加速空洞でできています。加速部分は直線にする必要があり、リニアック加速器全体が直線になっているのです。
一方、放射状に広がる駐車場は、J-PARCの中性子ビームラインを連想することができます。MLFでは、なるべく多くの中性子実験を行うことが求められます。このため、建屋のほぼ中央に中性子を発生する水銀ターゲットを置き、そこから出た中性子は放射状に伸びたビームラインの中を試料が置かれている実験室まで導入されます。この方法により、2つの実験ホールに合計23本までの中性子ビームラインを設置することができます。
航空写真に写った昼間の駐車場には、白いラインが鮮明に光っています。敷地を有効に使いながら、車の出し入れを容易にしようとした結果、このような設計になったはずですが、上空から見ると整然とした美しさがあります。限られた空間の中で最大限の性能を引き出そうと設計されたリニアックや中性子ビームラインをはじめ、J-PARCの各施設も、駐車場に負けず、機能美にあふれています。