J-PARC関連論文がScientific Reports (オンライン版) に掲載されました。
「相図の裏に隠されていた新しい鉄水素化物を発見」
令和元年8月30日
1. 発表者:
青木
勝敏(東京大学大学院理学研究科地殻化学実験施設 客員共同研究員)
町田
晃彦(量子科学技術研究開発機構放射光科学研究センター 上席研究員)
齋藤
寛之(量子科学技術研究開発機構放射光科学研究センター 上席研究員)
服部
高典(日本原子力研究開発機構J-PARCセンター 主任研究員)
佐野 亜沙美(日本原子力研究開発機構J-PARCセンター 副主任研究員)
舟越
賢一(総合科学研究機構(CROSS)中性子科学センター 主任研究員)
佐藤
豊人(東北大学金属材料研究所 助教)
折茂
慎一(東北大学材料科学高等研究所 副所長)
2. 発表のポイント:
◆鉄に対する水素量の少ない組成領域で、鉄原子の六方晶格子に水素原子が溶解した結晶構造を持つ六方晶鉄水素化物が高温高圧下で形成されることを世界で初めて見出した。
◆大きな水素誘起体積膨張や高温での溶解度増加などこれまで知られている立方晶および二重六方晶鉄水素化物とは異なる特異な水素溶解特性が観測された。
◆地球内部に大量に含まれる六方晶鉄に水素が溶解することが明らかになり、地球科学的な視点に立った六方晶鉄水素化物の研究の重要性が示された。
3. 発表概要:
東京大学大学院理学系研究科の青木勝敏客員共同研究員と量子科学技術研究開発機構の町田晃彦、齋藤寛之上席研究員らは、日本原子力研究開発機構の服部高典主任研究員、佐野亜沙美副主任研究員、総合科学研究機構の舟越賢一主任研究員、東北大学金属材料研究所の佐藤豊人助教、東北大学材料科学高等研究所折茂慎一副所長との共同で、大強度陽子加速器施設J-PARC(注1)の物質・生命科学実験施設(以下「MLF」という)に設置されている超高圧中性子回折装置PLANET(注2)ならびに大型放射光施設SPring-8(注3)の量子科学技術研究開発機構専用ビームラインBL14B1に設置されているキュービックアンビル型高温高圧発生装置(注4)を用いて、六方晶の鉄格子構造を持つ鉄水素化物が高温高圧下で形成されることを発見しました。
本研究では鉄と反応させる水素量を制御することにより、六方晶の結晶構造を持つ鉄水素化物が高温高圧下で形成されることを発見し、鉄中の水素原子の占有位置と溶解度の温度変化を観測しました。鉄水素化物は物質科学および地球科学の主要な研究対象として長年にわたって研究されていましたが、六方晶鉄水素化物の存在およびその詳細な結晶構造と水素溶解特性が報告されたのは初めてです。
鉄は地球を構成する主要な金属であり、地球の進化過程、さらには現地球内部での水素循環過程においては鉄水素化物が重要な役割を担っている可能性があります。今後、地球内部に匹敵する温度圧力領域での結晶構造と水素溶解特性を調べることにより、六方晶鉄水素化物の役割が解明されるものと期待されます。
4. 発表内容:
鉄水素化物は金属水素化物の典型物質として、また、地球内部での水素リザーバー(注5)の候補として半世紀にわたって研究されてきました。鉄水素化物は高圧下で安定に存在するため、2000℃-20万気圧の高温高圧領域で温度・圧力相図や結晶構造が詳しく調べられており、立方晶構造と二重六方晶構造を持つ水素化物の存在が報告されています。しかし、同じ温度圧力領域で純鉄の安定構造である六方晶構造を持つ鉄水素化物は観測されていませんでした。高圧下で安定な鉄水素化物の結晶構造を観測する上で、水素原子位置を含めた結晶構造を決定できる中性子回折法は最も有力な手法ですが、技術的な困難さからこれまでの研究では利用されていませんでした。今回、J-PARC、MLFに超高圧中性子回折装置が整備され、世界に先駆けて高温高圧下の金属水素化物の中性子回折実験が可能となりました。
これまでの研究では、鉄に対して過剰量の水素を反応させて水素化物を合成した結果、立方晶と二重六方晶構造の水素化物が形成されていたのではないかと我々は考えました。従って、少量の水素との反応によって六方晶水素化物が合成されるのではないかとの推測の下に、放射光X線回折実験と中性子回折実験を併用して六方晶鉄水素化物の探索と結晶構造測定を実施しました。
放射光X線回折実験では、鉄水素化物(化学式FeHxで表記。xは水素組成比を表す)の水素組成比xが最大でも0.6以下に抑えられるように水素量を制御しながら790℃(1063K)、7万気圧で立方晶水素化物を合成した後、徐々に温度を下げたところ、520℃付近(797K)で六方晶水素化物への変換が観測されました。さらに160℃(434K)付近で、その六方晶の水素化物が純鉄と二重六方晶水素化物へ分解するのが観測されました(図1参照)。
鉄中の水素組成と水素原子の占有サイトを決定するために鉄重水素化物(注6)を用いて中性子回折実験を実施しました。400℃(673K)、5万気圧、及び300℃(573K)、4万気圧で測定された回折プロファイルを精密解析した結果、この六方晶鉄水素化物の水素組成はx=0.48であり、鉄に溶解した重水素原子は6個の鉄原子で囲まれた八面体サイトを部分的に占有していることが分かりました。
これら一連の放射光X線回折・中性子回折実験により、六方晶鉄水素化物の存在、および、この六方晶鉄水素化物が安定に存在する温度・圧力の領域に加え、さらには水素を含めた六方晶鉄水素化物の結晶構造を世界で初めて明らかにしました。
六方晶鉄水素化物はこれまで報告されている立方晶および二重六方晶鉄素化物と異なる水素溶解特性を持つことが示されました。鉄格子中に溶解した水素原子によって格子は水素組成比xに比例して体積膨張することが知られていますが、六方晶水素化物では他の二つの水素化物と比べて~10%も大きな水素誘起体積膨張を持つことが分かりました。また、水素組成の温度変化は水素溶解エンタルピーという熱力学状態量によって支配されますが、六方晶水素化物では昇温によって水素組成は増加し、減少を示す立方晶および二重六方晶鉄素化物とは逆の振る舞いを示すことも分かりました。
六方晶、立方晶、二重六方晶の結晶構造は鉄金属面の積層順を変えることによって互いに変換することができます。このような結晶構造の互変換性にもかかわらず、上で述べたように六方晶水素化物は他の水素化物とは異なる水素溶解特性を示します。これらは、水素原子とそれを取り巻く鉄原子との間の結合状態が鉄格子構造に依存することを示唆します。高温高圧下での鉄水素化物の安定構造と水素溶解特性の結晶構造依存性は今後の理論研究の課題です。
六方晶鉄水素化物は地球科学の観点からも今後の研究の展開が期待されます。地球の内核の主成分は鉄であり、内核に対応する高温高圧下では純鉄は六方晶構造をとることが知られています。地球内核は地震波の解析から純鉄よりも密度が10%も低く、その原因として軽元素の鉄中への溶解が議論されており、水素は溶解軽元素の一つです。これまで、内核の密度低下を水素溶解で説明する試みがなされてきましたが、そこで使われていたのは立方晶あるいは二重六方晶水素化物の結晶構造データと水素溶解特性でした。今後、数千度、数十万気圧へと温度圧力領域を拡張して六方晶鉄水素化物の実験データを集積することによって、より確度の高い内核の水素溶解度の推定が可能になるものと期待されます。
図1 高温高圧下の鉄水素化物の冷却時における放射光X線回折実験結果。(a)全計測結果、(b)立方晶が支配的な温度領域、(c)六方晶が支配的な領域、(d)二重六方晶が支配的な温度領域。破線は、立方晶(111)面と六方晶(101)面のピークシフトを示す。
f-111:立方晶(111)面、f-200:立方晶(200)面、h-101:六方晶(101)面、dh-102:二重六方晶(102)面、bcc-Fe:純鉄
5. 発表雑誌:
雑誌名:「Scientific Reports」(オンライン版:2019年8月23日)
論文タイトル:Hexagonal Close-packed Iron Hydride behind the Conventional Phase Diagram
著者:Akihiko Machida, Hiroyuki Saitoh, Takanori Hattori, Asami Sano-Furukawa,
Ken-ichi Funakoshi, Toyoto Sato, Shin-ichi Orimo, Katsutoshi Aoki
DOI番号:10.1038/s41598-019-48817-7
6. 用語解説:
茨城県東海村で高エネルギー加速器研究機構と日本原子力研究開発機構が共同で運営しており、高速の陽子を標的にあてることにより発生する中性子やミュオン、K中間子、ニュートリノなどの様々な粒子を利用して研究を行っている複合研究施設。物質・生命科学実験施設(MLF) では、世界最高クラスの強度の中性子およびミュオンビームを利用して、素粒子・原子核物理学、物質・生命科学などの基礎研究から産業分野への応用研究まで広範囲にわたる分野での研究が行われている。
J-PARCのMLF内のビームライン11番にある粉末回折装置。地球深部における鉱物やマグマ中の水素の振る舞いを観測することを目的として設置され、高圧下における物質・液体の構造を精度良く決定することに特化している。
兵庫県の播磨科学公園都市にある世界最高性能の放射光を生み出すことができる大型放射光施設。電子を光とほぼ等しい速度まで加速し、磁石によって進行方向を曲げることによって細く強力なX線などの放射光を発生する。ナノテクノロジー、バイオテクノロジーや産業利用まで幅広い研究に利用されている。
立方体形状の高圧発生セルに充填された試料を、6個の超硬合金製のアンビルにより圧縮する装置。室温で約12万気圧、約6万気圧で2000℃までの圧力温度発生が可能である。本研究で使用した装置は放射光ビームラインに設置されており、試料の高圧状態をX線回折により直接観察することができる。
水素は宇宙で最も多い元素であり、地球にも水という形で大量に存在している。地球内部においても水分子や水酸基として、水素は鉱物中に多量に含まれていると考えられている。鉄が主成分である地球のコアにも水素が溶け込み保持されていると考えられている。
重水素は水素の同位体の1つで、その原子核は1つの陽子と1つの中性子から成る。一般に水素を含む物質の中性子回折実験では、測定のバックグラウンド低減等の目的で、水素を重水素で置き換えた重水素化物がよく用いられる。