パワー半導体β-Ga2O3の特性を左右する 水素の準安定状態を解明
- 材料中の微量水素が持つ「2つの顔」に迫る -
大学共同利用機関法人 高エネルギー加速器研究機構
J-PARCセンター
国立大学法人 茨城大学
国立大学法人 東京工業大学
本研究成果のポイント
✣ 半導体材料中に広く存在する水素は、わずかな量でも材料の電気特性を大きく左右する重要な不純物欠陥。擬水素としてのミュオンはそれを調べる数少ない手法。
✣ J-PARCの大強度ミュオンビーム利用により、β-Ga2O3 (ガリア) 中で擬水素としてのミュオンが取る第2の準安定状態 (アクセプター的な状態) を発見。
✣ 第2の状態は伝導帯と電子をやりとりすることで高速拡散することも判明。同じ状況で水素が材料中を高速に拡散できる可能性を示唆。
概 要
半導体材料の電気特性はその中に微量に存在する水素によって大きく左右されるが、その原子レベルでのメカニズムを調べる手段は極めて限られている。茨城大学理工学研究科の平石雅俊研究員、東北大学金属材料研究所の岡部博孝特任助教、高エネルギー加速器研究機構 物質構造科学研究所ミュオン科学研究系の幸田章宏准教授、門野良典特別教授、物質・材料研究機構 (NIMS) 機能性材料研究拠点の大橋直樹拠点長、および東京工業大学国際先駆研究機構元素戦略MDX研究センターの細野秀雄特命教授らの研究グループは、大強度陽子加速器施設 (J-PARC) 物質・生命科学実験施設 (MLF) (注1) の汎用μSR実験装置 (ARTEMIS) を用い、パワー半導体として注目が集まるβ-Ga2O3中での「擬水素」としてのミュオンの局所電子状態を詳細に調べた。その結果、ミュオンはそれ自身で電子のドナー・アクセプター役に対応する2つの準安定状態 (注2) を取ることが判明した。特に、アクセプター状態の存在はJ-PARCの大強度ビームによる高統計データで初めて明らかにされたもので、最近提案された「両極性モデル (注3) 」を支持する結果となった。また、アクセプター状態のミュオンは伝導帯と電子をやり取りし、一時的に中性の状態を経由しながら結晶中を高速に拡散していることが示され、これにより微量水素がβ-Ga2O3中の電気特性に影響を及ぼす新たなメカニズムの一端が明らかになった。
この研究成果は、米国科学雑誌Physical Review B にLetterとして1月18日掲載 (オンライン公開) された。
背 景
パワー半導体は、電圧の変換や交流から直流への変換などを担う重要な部品としてさまざまな電子機器に搭載されています。近年急速に進む自動車の電動化や低炭素社会の実現に向けて、効率よく電力を利用することが可能となる低損失で高効率なパワー半導体の開発が急務となっています。そこで、次世代のパワー半導体の候補物質として酸化ガリウムの研究が進められています。その特性から、現在主に用いられているシリコンよりも高耐圧で低消費電力となることが期待されていることに加え、大型の単結晶が容易に製造できるため、実用化の暁には安価で高性能なデバイスの作成が可能となります。
応用上の課題として、キャリア密度などの電気特性を精密にコントロールすることが求められますが、そのためには電気特性に影響を与える主要因 (不純物や、酸素及び、ガリウムの欠陥など) を理解し、さらには、合成やデバイスの作成法との関係などを詳しく調べる必要があります。その中で特に、水や水蒸気の形でいたるところに存在する水素は、あらゆる物質に含まれうる普遍的な不純物です。シリコン中の微量水素が導電性に大きな影響を及ぼすことが知られて以来、さまざまな半導体や太陽電池材料物質などの機能性物質中で水素がそれらの特性に及ぼす影響について注目を集めています。酸化ガリウムにおいても理論計算による研究から、水素がn型伝導に寄与しうることが指摘されています。つまり、製造工程などで不純物として水素が含まれてしまうと、電気特性が意図せず変化してしまう可能性があります。しかしながら、微量の水素を直接的に調べる手法が限られていることもあり、実験的な知見は非常に限られていました。
そこで、酸化ガリウムの中で最も安定な構造を持つβ型酸化ガリウム (以下β-Ga2O3) について、不純物としての水素の電子状態を解明することを目的として研究を行いました。
研究内容と成果
研究グループは、不純物水素について実験的に情報を得られる数少ない手段として利用されてきた素粒子ミュオン (μ+) に注目しました。ミュオンは陽子の1/9、電子の206倍の質量を持つ、Hの軽い放射性同位体 (平均寿命2.2マイクロ秒) とみなすことができます。物質との相互作用 (化学的性質) という観点では、水素のそれとほぼ同等であることから、擬水素として扱うことができます (以下素粒子の名前 μ+に替えてMuを元素記号として用います) 。物質中に注入・停止したMuの状態は、ベータ崩壊を用いるミュオンスピン回転 (μSR) 法 (注4) により高感度で検出できるので、Muを孤立Hの実験的なシミュレーターとして使うことができます。
研究グループは、大強度のミュオンビームを利用できるJ-PARCのMLFにてβ-Ga2O3のμSR実験を行いました。その結果、ミュオンはβ-Ga2O3中でドナーとアクセプターに対応する2つの準安定状態となっていることがわかりました (図1: Mu1とMu2) 。Mu1は、前述の理論計算で報告されているドナーとなる水素に対応しており、そのような水素が実際に存在しうることを実験的に示しました。もう一方のMu2はアクセプター的な状態で、伝導帯と電子をやりとりしながら高速で拡散していることがわかりました。2つの準安定状態が存在することは、先行研究で報告されているβ-Ga2O3のバンド構造 (図2) に基づく「両極性モデル」からの予言とよく一致していることも明らかになりました。また、ミュオンが示す2つの電子状態、特にアクセプター的Mu2の状態は、先行研究ではバックグラウンド成分と区別がつかず見落とされていたもので、J-PARC MLFにおける大強度のミュオンビームを用いることで初めて明らかになりました。
本研究の意義、今後への期待
本研究ではパワー半導体として注目を集めるβ-Ga2O3について、電気特性を左右しうる不純物水素の電子状態をミュオンで明らかにしました。特にアクセプター的な状態の高速拡散は、材料の合成過程、あるいは光照射・電圧印加時などの非平衡な状況下での水素でも起き得ると考えられ、水素と他の不純物欠陥が複合体を作る原因となる可能性を示唆しています。また、擬水素としてのミュオンからの情報と、最近提案された両極性モデルを組み合わせた研究の有効性を示しました。
今回明らかになった知見は、材料開発に大きな指針を与えると考えられ、小型でより高性能なパワー半導体の実現に向けての端緒となることが期待されます。
本研究は、文部科学省の「元素戦略プロジェクト<研究拠点形成型>」 (助成番号:JPMXP0112101001) 、文部科学省JSPS科研費 (No.19K15033) の支援により行われました。論文中に引用されたミュオンスピン回転実験は、KEK物質構造科学研究所による大学共同利用研究プログラム (課題番号:2013MS01、2019MS02) の支援のもと行われました。
論文題目
論文タイトル | 「Local electronic structure of dilute hydrogen in β-Ga2O3 probed by muons (日本語題目:ミュオン研究によって明らかにされたβ-Ga2O3中の希薄水素の電sub子状態) 」 |
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雑誌名 | 「Physical Review B」第107巻、L041201 (オンライン版2023年1月18日) |
著者名 | M. Hiraishi, H. Okabe, A. Koda, R. Kadono, T. Ohsawa, N. Ohashi, K. Ide, T. Kamiya, and H. Hosono |
DOI | 10.1103/PhysRevB.107.L041201 |
参考図
図1 (a) 室温でのβ-Ga2O3のμSR実験結果。ミュオンのスピンはミュオンを試料に注入した直後 (時刻ゼロ) では100%揃っている (偏極度=1.0) が、ミュオンの近くにあるGa原子核の磁気モーメントが作る微小磁場の影響を受けて時間の経過とともに偏極を徐々に失う。これを緩和と呼び、その速さ (緩和率) から格子中でのミュオンの静止位置を調べることができる。J-PARCでは、大強度ミュオンビームで可能になった高統計・低バックグラウンドのデータ収集により、最大約25マイクロ秒までの偏極度の時間変化が観測できるようになった。その結果、図 (a) に見られるように偏極が緩和を示す成分 (Mu1) 、および全く緩和を示さない成分 (Mu2) が同時に存在することが明らかになった。特に、Mu2成分は従来バックグラウンドと区別がつかなかったが、本実験では15マイクロ秒以降でMu1に由来する偏極の部分的な回復を明確に観測することで、残りの偏極成分が試料中のミュオンに由来することを同定できた。そこで、まず緩和を示す成分 (Mu1) について、外部磁場がゼロの状態 (図中ZF) と、スピン偏極の方向に磁場を加えた状態 (同LF) での測定データから緩和率を精密に決定した。これを第一原理計算 (注5) によって評価されたいくつかの静止位置候補での緩和率の予測値と比較を行った結果、 (b) に示す構造と良い一致を示すことが明らかになった。この成分がドナーに対応するミュオンの状態である。一方で、Mu2に対応する偏極成分は、静止状態で期待されるGa核磁気モーメントによる緩和を示さないことから、Mu2は高速拡散によって緩和が抑制された状態 (運動による先鋭化) にあることも明らかになった。
また、図1に示した室温の純良単結晶試料では、およそ6割のミュオンがMu2状態を取っているが、粉末試料でのMu2成分はおよそ1割程度であることも明らかになり、2つの電子状態をとる割合が試料の質や製法に大きく依存することが明らかになった。
(b-e) 第一原理計算によって評価された水素による局所的な構造の変化。室温では (b) の構造と対応しているが、低温では (c) や (d) の状態をとる割合が増えていることが、緩和率の温度依存性を測定することで明らかになった。 (e) はMu2に対応するH-を仮定した時の安定サイト。予測される緩和率は (b-d) の構造のそれに対して2倍以上の値となるが、大きな緩和率を示す成分が実験的には観測されていないため、Mu2成分が高速拡散していることを支持する。
図2 (a) β-Ga2O3でのミュオン (Muqi, q = 0,±1) の形成エネルギー (注6) とフェルミエネルギーの関係図。H+の形成エネルギーと H0の形成エネルギーの交点をドナー準位 (E+/0) 、H-形成エネルギーとH0の形成エネルギーの交点をアクセプター準位 (E+/0) とし、最近提案された両極性モデル (注3) では、H (あるいはMu) はこれらに対応した2つの準安定状態を同時に取り得ると仮定する。今回の実験結果はこのモデルとよく一致している。E0/-が伝導帯中に存在するため、対応するH (あるいはMu) は常にイオン化 (H → H+ + e-) して電子を供給する、つまり意図しないn型伝導を引き起こす原因となることを意味する。また、E0/-が伝導帯に近い位置にある一方で、電荷中性点EFintよりも低エネルギー側 (図で左側) にあることから、E0/-に対応する状態が実際にアクセプターとして機能し、伝導帯と電子のやりとりが可能であることを示唆している。
(b) ドナー (Mu+ = Mu1) とアクセプター (Mu-= Mu2) 準位に対応したバンド構造の模式図。Mu-は伝導帯と電子をやりとりし、一時的なMu0状態を経由ながら高速で拡散する。
お問い合せ先
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用語解説
注1 大強度陽子加速器施設 (J-PARC) 物質・生命科学実験施設 (MLF)
高エネルギー加速器研究機構 (KEK) と日本原子力研究開発機構 (JAEA) が運用する複合研究施設J-PARCのうち、大強度陽子加速器により生成されるミュオン及び中性子を用いて物質科学や生命科学に関する実験研究を行う施設。
注2 半導体中のアクセプター状態/ドナー状態、バンド構造、フェルミ準位
図3に示すように、金属中の電子は、ペットボトルを一部分だけ満たした水と同じ状態にあり、外部からの刺激に対して自由に動くことができる (微小な電圧を印加することで電流を運ぶことができる) 。一方、半導体や絶縁体中の電子は、蓋をした満タンのペットボトル中の水と同じで動くことができない。ところが、イオンになりやすい不純物を半導体に少量混ぜると (キャリア注入) 、余分な電子あるいは正孔により電流を運べるようになる。このような不純物のうち、電子を放出して自身は正イオンになる不純物をドナー、電子を捕獲して (正孔を放出して) 負イオンになる不純物をアクセプターと呼ぶ。
図3:金属と半導体・絶縁体のバンド構造、および後者におけるアクセプターおよびドナーの電子状態の模式図。固体中で、電子はある一定範囲 (図中放物線の内側) のエネルギーを取ることが許されており、これをエネルギーバンド、また2つのエネルギーバンドの間をバンドギャップと呼ぶ。電子はこのようなバンド中で連続的に存在するエネルギー準位を、低エネルギー側から順に占有している。個々の物質で定まる占有状態の上端を真性フェルミ準位と呼ぶ。このフェルミ準位がバンドの途中にある場合、フェルミ準位近傍の電子は外部からの電場に対して占有状態を変化できるので、そのような固体は導電性を示し金属となる。一方、フェルミ準位がちょうどエネルギーバンドの端にある場合、電子は占有状態を変えられないため絶縁体となる。なお、半導体とは、絶縁体のうちでバンドギャップが小さいもの (例えばシリコンは1.2 eV [エレクトロンボルト、電圧に換算する場合は単にボルト]) を指し、3 eV以上の場合にはワイドギャップ半導体とも呼ばれる。ワイドギャップ半導体である酸化物をワイドギャップ酸化物とよぶ。β-Ga2O3では図2 (a) に示すように、およそ4.9 eVである。前述のように、半導体は本来電気を流さないが、イオン化しやすい不純物を人工的に混入することで (キャリア注入) 、電気伝導性を制御することができる。これら不純物のうち、電子を放出しやすいものをドナー、電子を捕獲 (=正孔を放出) しやすいものをアクセプターと呼ぶ。
注3 両極性モデル
熱平衡状態にある酸化物材料中では、水素 (H) は一般に正負いずれか一方の荷電状態しか取れないことが第一原理計算から予想される。一方、イオンビームとして注入されたミュオン (Mu) は、 (1) 中性状態も存在する、 (2) 異なる荷電状態を取るMuが同時に存在する、という特徴を示し、Muが準安定状態にあることが様々な実験的証拠から示されている。両極性モデルでは、そのような準安定状態としてMuがドナー的、およびアクセプター的な状態を同時に取ることができる、という意味での両極性を仮定する。具体的には、2つの準安定状態は図2でH+の形成エネルギーとH0の形成エネルギーの交点をドナー準位 (E+/0) 、H-の形成エネルギーとH0の形成エネルギーの交点をアクセプター準位 (E0/-) に対応していると仮定する。さらに、それぞれがどの荷電状態を取るかは、材料ごとに異なるエネルギーバンド構造とドナー・アクセプター準位との関係に応じて定まる、と仮定する。このモデルにより、酸化物材料についてこれまでに観測されたほぼすべてのMuの荷電状態を説明できることがわかった。 ((詳細は2022年の該当プレスリリース: https://www.kek.jp/ja/press/202210061400/ を参照。)
注4 ミュオンスピン回転 (μSR) 法
加速器施設で生成するスピン (自転軸) が100%揃ったミュオンを試料に注入・停止し、その崩壊現象を利用してスピンの向きの時間変化を測定することで、試料中の磁場の大きさやゆらぎを観測する手法。ミュオンスピン回転/緩和/共鳴法の総称。ミュオンは試料中の磁場に影響を受けてそのスピンが歳差運動し (自転軸の回転運動、傾いたコマの首振り運動に相当) 、平均2.2マイクロ秒で崩壊する。このときにスピンの方向に陽電子を放出することから、陽電子の放出方向を観測することで試料中の磁場の大きさを間接的に知ることができる。
注5 第一原理計算
第一原理計算とは「もっとも基本的な原理に基づく計算」という意味で、物質中の電子同士、原子核同士、および電子-原子核間のクーロン相互作用から出発し、近似モデルによらず量子力学の基本法則のみに立脚した電子状態理論を使って電子分布を決め、物質の諸性質を計算することを指す。具体的な計算手法として現在よく用いられているのが密度汎関数理論である。
注6 形成エネルギー
水素に限らず、固体結晶中に外部から不純物が取り込まれると、「不純物欠陥」と呼ばれる格子欠陥が形成され、固体結晶全体のエネルギーに変化が生じる。この相対変化を形成エネルギーと呼ぶ。通常、不純物を持ち込むには余分なエネルギーが必要なため、それにより形成エネルギーは増大する。従って、形成エネルギーが小さいほどその状態が安定となり形成されやすいことを意味する。