充放電中のリチウムイオン電池内でリチウムイオンの運動を初測定
総合科学研究機構
東京理科大学
高エネルギー加速器研究機構
J-PARCセンター
発表のポイント
✣ 充放電中のリチウムイオン電池内の正極中のリチウムイオンの拡散係数をミュオンスピン回転緩和法により世界で初めて測定
✣ 次世代電池の材料探索及び電極作製法の最適化に前進
概要
総合科学研究機構(CROSS)中性子科学センター 大石 一城 副主任研究員、杉山 純サイエンスコーディネータ、東京理科大学理学部第一部応用化学科 五十嵐 大輔 大学院生、多々良 涼一 助教、駒場 慎一 教授、及び高エネルギー加速器研究機構(KEK)物質構造科学研究所 梅垣 いづみ 助教、幸田 章宏 准教授の研究グループは、大強度陽子加速器施設(J-PARC)物質・生命科学実験施設(MLF)(※1)に設置された汎用µSR実験装置(ARTEMIS)(※2)を用いて、充放電中のリチウムイオン電池内の正極中のリチウムイオンの「自己拡散係数」(※3)の測定に世界で初めて成功しました。µSR測定と同時に電気化学的な測定を実施することにより、材料固有の拡散係数の測定に加えて、電極作製法に依存する電気化学反応面積が充放電中にどのように変化するかを明らかにしました。これは、次世代電池の材料探索及び電極作製法の最適化に貢献すると期待されます。
この研究成果は、米国化学会が出版するACS Applied Energy Materialsに2022年10月4日にオンライン掲載されました。
背景
リチウムイオン電池も含めたイオン電池等ではその内部でイオンが電荷を運びます。そのためイオンの運動(拡散)の理解は、電池反応の根源的理解や新規電池材料の開発に欠かせません。このイオンの拡散係数は電池の性能を決める上で極めて重要で、従来は電気化学的な手法で測定されてきました。しかし、この手法は電極作製法や充放電状態等の影響を大きく受けるので、材料固有の拡散係数を得ることは困難でした。材料固有の拡散係数を求める手法として、核磁気共鳴法(NMR)、中性子準弾性散乱、メスバウアー法等がありますが、いずれの手法にも適用できる元素、拡散の時間スケール、温度領域といった制限があります。これに対して、本研究で用いたミュオンスピン回転緩和法(µSR)(※4)では、適した時間スケールで材料固有のリチウムイオン拡散係数を測定することができます。また、µSRは磁性元素を含む化合物中でもリチウムイオンの拡散を捉えることができます。しかし、これまでのµSR測定は、電池から取り出した電極の測定をしており、充放電中における電池内のリチウムイオンの拡散を調べた例はありませんでした。
研究内容と成果
研究グループは、充放電中のリチウムイオン電池内の正極材料であるコバルト酸リチウム(LiCoO2)中のリチウムイオンの拡散係数を調べるために、J-PARC MLFのARTEMISで図1に示す電池セルを用いてµSR測定を行いました。その結果、図2(a)に示すように、充電時の電圧及びリチウム濃度の時間変化を明らかにするとともに、図2(b)に示すように、リチウムイオンの自己拡散係数DJLiが10-12~10-11 cm2/sの値となることを明らかにしました。さらに、DJLiはリチウムイオン濃度の減少と共に増大しました。今回初めてµSR測定と同時に電気化学的な測定を実施することにより、材料固有の拡散係数DJLiに加えて、電極製造法に依存する電気化学反応面積の充放電中の変化の様子を明らかにしました。
この研究により、世界で初めて充放電中のリチウムイオン電池内の正極中リチウムイオンの拡散現象が測定されました。また、他の測定手法では決定困難だった電気化学反応面積の導出にも成功しました。
図1 充放電を行いながらµSR測定をするための電池容器。
図2 (a) 充電時における電圧(赤線:左軸)及びリチウム濃度(青線:右軸)の時間変化。(b) 充電時におけるリチウムイオン拡散係数DJLiのリチウム濃度依存性。
本研究の意義、今後への期待
充放電中におけるリチウムイオン電池内のリチウムイオンの動きを明らかにすることに成功しました。また、電極作製方法に依存する電気化学反応面積の導出にも成功しました。これらの結果は、現行電池の動作機構理解や改良のみならず、次世代電池探索及び電極作製法の最適化に貢献すると期待されます。
研究支援
本研究はJSPS科研費JP18H01863とJP20K21149の助成を受けたものです。
論文情報
タイトル | Operando muon spin rotation and relaxation measurement on LiCoO2 half-cell |
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雑誌名 | ACS Applied Energy Materials |
著者 | 大石 一城1、五十嵐 大輔2、多々良 涼一2、梅垣 いづみ3、幸田 章宏3、駒場 慎一2、杉山 純1 |
所属 | 1総合科学研究機構(CROSS)中性子科学センター、2東京理科大学理学部第一部、3高エネルギー加速器研究機構(KEK)物質構造科学研究所 |
DOI | 10.1021/acsaem.2c02175 |
問い合わせ先
※ E-mailは上記アドレスの[*]を@に変えて使用してください。
用語解説
※注1 大強度陽子加速器施設(J-PARC)物質・生命科学実験施設(MLF)
J-PARCは日本原子力研究開発機構(JAEA)と高エネルギー加速器研究機構(KEK)が共同で茨城県東海村に建設し、運用している一大複合研究施設の総称です。その内の一施設であるMLFでは、加速した大強度の陽子ビームを炭素標的及び水銀標的に衝突させることで発生する大強度パルスミュオン及び中性子を用いて、物質科学、生命科学、素粒子物理学等の最先端の学術及び産業利用研究が行われています。
※注2 汎用µSR実験装置(ARTEMIS)
J-PARC MLFのS1エリアに設置された汎用µSR実験装置です。電池材料中の核磁場の分布幅は理科の実験で使用する一般的な棒磁石(約100 mT)の200分の1程度です。ARTEMISは、このような微小な核磁場の揺らぎを捉えます。
※注3 自己拡散係数
同一の分子やイオンが熱運動によって互いに位置を移動する速さを表す量です。
※注4 µSR(ミュオンスピン回転緩和法)
ミュオンは小さな磁石で、MLFで作られたミュオンは磁石の向きがビーム方向にほぼ揃っています。試料に注入されたミュオンは、周りの磁場を感じ、スピンの向きを変化させます。ミュオンは、崩壊する瞬間に向いていたスピンの方向に陽電子または電子を放出します。これを検出器で捉え、ミュオンスピンの変化を調べることで、物質内部の微小な核磁場の揺らぎや磁気的状態を調べる手法をミュオンスピン回転緩和法と呼びます。