プレスリリース

2021.12.08

ディープラーニングによって大幅な統計ノイズの低減に成功
- 中性子実験の測定時間を1/10以下に短縮、新規材料開発等に貢献 -

国立研究開発法人日本原子力研究開発機構
大学共同利用機関法人高エネルギー加速器研究機構
J-PARCセンター

 

発表のポイント

  ✣ 材料の表面・界面を評価するための有力な手法として使用されている中性子反射率法(注1)は、その測定には数10分から数時間の時間を要するため、計測の高速化が課題でした。統計ノイズのために測定時間を単純に短縮すると測定精度が低下するため、精度を落とさずに高速に測定する手法の開発が求められていました。

  ✣ 本研究で開発したディープラーニング(注2)によるデータ処理技術によって、短時間で測定した中性子反射率のデータに含まれる統計ノイズを除去することに成功しました。これにより、測定精度を損なうことなく測定時間を1/10以下に短縮可能となりました。

  ✣ 本研究によって、これまでの数時間の実験が10分程度になることが期待され、中性子施設の限られた利用期間の間により多くの測定が可能となります。また、薄膜中への液体の浸透や、界面の破壊の様子など、これまでは測定困難であった短時間で構造変化する試料に対して、その変化の過程を直接追跡できるようになり、新規薄膜デバイスや接着技術などの研究開発に貢献するものと期待されます。

  ✣ 本手法は中性子反射率だけでなくX線などを用いた様々な測定にも応用可能であり、量子ビームの利用を大きく加速するものと考えられます。

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概要

  国立研究開発法人日本原子力研究開発機構 J-PARCセンター/大学共同利用機関法人高エネルギー加速器研究機構 物質構造科学研究所の青木裕之研究主幹/特別教授らの研究グループは、ディープラーニング(深層学習とも呼ばれる)を適用することで、薄膜材料の評価に用いられる中性子反射率測定の測定効率を向上させる手法を開発しました。

  中性子反射率法は材料の表面や電池の内部構造を調べるために用いられていますが、微細の構造を精度高く評価するためには長時間の測定が必要となります。大型施設でしか使用できない中性子は稼働期間が限られていることから、可能な限り短時間で精度の高い測定を行うことが求められます。本研究では、中性子反射率データに入り込むノイズの特徴をディープラーニングによって学習し、短時間で測定されたデータからノイズを除去することで真の信号を抽出することを可能にしました。今回開発した手法によって、これまでの1/10以下の時間で測定したデータでも従来と同程度の精度の構造評価が可能となりました。これまで数十分〜数時間を要していた測定時間を大幅に短縮できるため、大型施設の限られたマシンタイムを有効に活用でき、より多くの試料の評価が可能になります。また、時間とともに変化する試料に対して、その変化の様子を高速に捉えることが可能になるほか、従来の技術では非現実的な測定時間が必要だった特殊な実験も可能になるものと考えられます。本手法は中性子反射率だけでなく、散乱実験など様々な測定にも応用可能であり、各種材料の研究開発を加速するものと期待されます。

  本研究成果は、令和3年11月22日 発行の国際学術誌「Scientific Reports」にオンライン掲載されました。

これまでの背景・経緯

  太陽電池やリチウム電池、記録材料の開発、また物体同士の接着技術の向上には材料の表面やその内部の界面の構造を正確に評価することが求められています。そのための実験法として中性子反射率法は強力な手段の一つとなっています。しかし、大型加速器施設や研究用原子炉で発生する中性子ビームをもってしても、数十分〜数時間以上の測定時間が必要でした。限りある中性子施設の稼働期間中により多くの測定を行うためには、測定時間を短縮する必要がありますが、単純に測定時間を短くするだけでは図1に示すようにデータ点のノイズ(統計誤差(注3))が大きくなり、精度が低下してしまいます。そのため、測定精度を低下させずに測定を高速化することが大きな課題となっています。より大強度のビームがあれば解決できますが、さらに大規模な施設を建設することは容易ではありません。そこで、大きなノイズを含むデータでも真の信号を回復し、短時間の測定でも十分に精度の高い解析が可能な手法の開発に取り組みました。

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図1. 通常の条件(左)及び1/10の時間で測定(右)された中性子反射強度。通常の測定条件では運動量遷移2.6と3.2 nm-1付近(図中矢印)にピークが見られるが、右のデータではノイズに埋もれて認識できない。

今回の成果

  短時間で測定されたデータに含まれる大きなノイズを低減するためには、平滑化処理(注4)という手法がしばしば行われますが、平滑化処理は分解能の低下が同時に生じるため誤った結果を与えることがあります。

  本研究では、畳み込みニューラルネットワーク(CNN)(注5)によるディープラーニングを適用することで中性子反射率の実験データに入り込むノイズの特徴を学習し、短時間で測定されたデータに含まれる大きな統計ノイズを除去し、真の信号を回復する手法を開発しました。CNNはこれまで画像データの処理など様々な分野で注目されて盛んに利用されていますが、本研究では、中性子反射率に対応するためにCNNの改良を行いました。任意の構造を持つ試料に対して中性子反射率実験のデータをシミュレーションすることができるソフトウェアを併せて開発し、およそ100万の訓練データを生成することで、短時間に測定された中性子反射率データに含まれる統計ノイズの特徴をディープラーニングによって学習しました。その結果、中性子反射率のデータから統計ノイズを除去し、真の反射率信号を抽出することができるようになりました。

  開発した手法を、大強度陽子加速器施設(J-PARC)物質・生命科学実験施設(MLF)(注6)に設置された中性子反射率計「写楽」で測定されたデータに適用しました。図2中の水色のデータ点は通常の測定条件(約10万個の中性子を検出)、青のデータは1/20の時間で計測した(約5千個を検出)中性子反射率データを示しており、実線はデータ点に最もよく合う構造モデルを用いた理論反射率曲線となります。水色のデータは理論曲線によく一致していますが、青で示したデータはばらつきが大きく、曲線に十分に合っていません。中性子反射率では、実験データに合う理論反射率曲線から中性子散乱長密度の空間分布として試料の構造を評価できます(注1)。図3図2のデータの解析で得られた構造を示したものであり、水色、青の曲線はそれぞれ図2の水色、青のデータから導き出された結果となります。青と水色の結果が異なっており、短時間で測定されたデータでは誤った結果が導かれることが分かります。一方、図2及び図3中の赤で示したデータはディープラーニングによって青のデータを処理した結果となります。図2で示した反射率データではノイズが除去されていることが明らかであり、また図3では赤で示した曲線が水色で示した通常の測定条件での結果とよく一致しています。これは、1/10以下の短時間で得られた実験データでも、ディープラーニングによるデータ処理によって従来と同等の精度で試料の構造を決定できることを示しています。この手法を利用することで、中性子反射率の測定時間を大幅に短縮できるようになりました。この手法は中性子反射率だけでなく、散乱実験やX線を用いた実験にも展開できます。本研究により大型施設の限られた稼働時間を有効に活用することが可能となり、今後の様々な材料の研究開発を加速することが期待されます。

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図2. 通常の条件(水色の点)及び1/20の時間で測定(青)された中性子反射率データ。赤は1/20の時間で測定されたデータをディープラーニングに基づく処理を行った後のデータである。曲線はそれぞれのデータに対して最もよく合う理論曲線。比較しやすいようにそれぞれのデータを縦方向にシフトしている。

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図3. 中性子散乱長密度の空間分布。水色、青、赤の曲線はそれぞれ通常の条件、1/20の測定時間、ディープラーニングによる処理後の反射率データから導かれたもの。

今後の展望

  本手法は短時間で多くの試料の測定を行うためだけではなく、試料の構造が時間とともに変化していく場合でも、その変化の様子を高速で追跡することが可能になります。また、これまでの中性子反射率測定では数cm四方の大きさがないと現実的な実験時間では測定できませんでしたが、mmオーダーの微小な試料でも測定が可能になるものと期待されます。これにより、新しい薄膜デバイスや次世代電池、接着・接合技術など様々な研究開発に資するものと期待されます。

論文情報

  "Deep learning approach for an interface structure analysis with a large statistical noise in neutron reflectometry"
  Hiroyuki Aoki, Yuwei Liu, Takashi Yamashita
  Scientific Reports(2021年11月22日)
  http://doi.org/10.1038/s41598-021-02085-6/

各研究者の役割

  ● 青木裕之(日本原子力研究開発機構J-PARCセンター・研究主幹/高エネルギー加速器研究機構物質構造科学研究所・特別教授):研究の発案と統括、プログラムの作成、中性子反射率実験、データ解析
  ● Yuwei Liu(高エネルギー加速器研究機構物質構造科学研究所):中性子反射率実験
  ● 山下貴志(アドバンスソフト株式会社):プログラムの作成

助成金の情報

  本研究成果は、科学技術振興機構(JST)未来社会創造事業大規模プロジェクト型「Society5.0 の実現をもたらす革新的接着技術の開発」(JPMJMI18A2)の支援を受けて得られたものです。また、本研究の一部は日本学術振興会(JSPS)科学研究費補助金基盤研究(B)(19H02768)によって行われました。

本件に関する問合せ先

< 研究内容について >

国立研究開発法人日本原子力研究開発機構
J-PARCセンター
大学共同利用機関法人高エネルギー加速器研究機構
物質構造科学研究所
青木 裕之
Mail:hiroyuki.aoki[at]j-parc.jp
 

< 報道担当 >

国立研究開発法人日本原子力研究開発機構
J-PARCセンター 広報セクション
関田 純子
TEL:029 -284 -4578
E-mail:pr-section[at]j-parc.jp
 
大学共同利用機関法人高エネルギー加速器研究機構 広報室
TEL:029 -879 -6047
E-mail:press[at]kek.jp
 

  ※上記の[at]は@に置き換えてください。

 

用語の説明

 (注1)中性子反射率
  中性子ビームを試料に入射して、反射した中性子の強度と運動量遷移(中性子の波長λと入射角θを用いて 4πsinθ/λで与えられる)との関係を測定することで、試料の表面や内部の界面の構造を評価する手法。測定によって得られた中性子反射率と理論的に計算される反射率曲線を比較してデータ解析することで、試料の構造を中性子散乱長密度(試料の原子組成によって決まる量)の空間分布として評価することができる。

 (注2)ディープラーニング
  与えられたデータの背後に存在する規則性を多層構造のニューラルネットワークによって見出す機械学習法。脳内の神経回路網を模倣して、入力層→中間層→出力層という多層のネットワークで構成された数理モデルにしたがって学習を行う手法。

 (注3)統計誤差
  測定において混入する真の値からのランダムなずれ。測定の回数を増やすことで減少させることができる。

 (注4)平滑化処理
  ばらついているデータを滑らかにする処理。ある点の値に対して、前後のデータ点との平均値や中央値を取得する。

 (注5) 畳み込みニューラルネットワーク
  ディープラーニングに用いられるネットワークの一種。ネットワーク内部に、入力データの特徴量を抽出する畳み込み層が含まれるモデル。画像認識などに広く用いられている。

 (注6) 大強度陽子加速器施設(J-PARC)物質・生命科学実験施設(MLF)
  J-PARC(ジェイパーク)は日本原子力研究開発機構と高エネルギー加速器研究機構が茨城県東海村で共同運営している先端大型研究施設で、素粒子・原子核物理学、物質科学、生命科学などの幅広い分野の世界最先端の研究が行われている。MLFでは、世界最高クラスのパルス中性子およびミュオンビーム、最先端実験装置を用いた物質科学、生命科学の学術研究および産業応用研究が行われている。