低温高圧下で新しい氷の相(氷XIX)を発見
1. 発表者
2.発表のポイント
✣ 独自に開発した低温高圧下誘電率測定装置(注1)および中性子回折実験(注2)により、新しい氷の多形(氷XIX)を発見した。
✣ この氷XIXは、氷VIの水素秩序相だが、これまで知られてきた氷VIの水素秩序相(氷XV)とは異なる秩序相であり、一つの水素無秩序相に対応して複数の秩序相が存在することを初めて示した。
✣ 氷VIと二つの秩序相の温度−圧力相図を明らかにし、二つの異なる秩序化が圧力の違いにより実現していることを明らかにした。
3.発表概要
黒鉛とダイヤモンドのように、同じ化学組成を持ちながら異なる結晶構造を持つものを「多形」といいます。氷にも多形が存在しますが、その種類の多さは他の物質と比べても群を抜いています。本研究では20番目(注3)となる新しい氷の多形を発見しましたが、H2O分子だけからなる氷が20種類もの異なる結晶構造をもつことは驚異的と言わざるを得ません。氷の多形のほとんどはGPaオーダー(注4)の非常に高い圧力を加えることで出現します。圧力は温度と並び物質の性質を調べる基本的な物理パラメータであり、1900年代初頭から多くの研究者によって1 GPa以上の圧力を発生させる高圧実験技術が開発され、その発展とともに新しい氷の多形が続々と発見されてきました。例えば、1946年のノーベル物理学賞受賞者である高圧物理学の父Percy Bridgmanは氷IV,V,VI,VIIの4相を発見しています(それぞれの多形につくローマ数字は発見された順番を表しており、冷凍庫で作られる通常の氷は氷Ih(注3)と呼ばれます)。一番最近では、2019年に100 GPa, 2000 Kを超えるような極端条件で氷XVIIIが報告されています。
今回、東京大学物性研究所 山根崚特任研究員、東京大学大学院理学系研究科 小松一生准教授、鍵裕之教授らの研究グループは物性研究所、総合科学研究機構 中性子科学センターおよび日本原子力研究開発機構 J-PARCセンターとの共同研究で、低温高圧下における誘電率測定および中性子回折実験により、新たな氷の多形である氷XIXを発見しました。この氷は、常温の水を加圧して最初に出現する氷VIを-150 ℃程度まで冷やすことで得られます(図1)。氷VIは酸素原子の位置はきちんと周期的に並んでいるものの、水素原子は隣接する4つの水分子のうち2つと水素結合を作りながらバラバラに配置しています。このような水素配置(水分子の配向)がバラバラな氷は無秩序相と呼ばれます。温度を下げることで水分子全体が互いに特定の方向へと再配向し、氷XIXへと相転移(秩序化)します。このように水分子の配向が秩序化することで新たな構造となる例は、他の氷の多形でも一般的に見られます。例えば、氷Ihは無秩序相ですが、それを-200 ℃程度まで冷やすと氷XIとなります。これまで秩序化の仕方は、それぞれの無秩序相に対して一通りしかないと考えられてきました。しかし、今回見つけた氷XIXは氷VIの2番目の秩序相であり(最初に見つかった秩序相は氷XV (注5))、氷の秩序化の仕方が複数存在することを初めて示しました。これら二つの秩序相は、圧力によって安定な領域が異なり、今回見つけた氷XIXは、氷XVに比べ高圧側で生成することがわかりました。さらに、得られた氷XIXの結晶構造を調べた結果、二つの秩序相は空間反転対称性が異なっており(注6)、電気的、光学的な性質の違いも今後の研究によって見出される可能性があります。また、理論計算により他の多形でも複数の秩序相の存在が指摘されており、今回の発見がさらなる氷の構造・物性の多様性を見出すきっかけになると期待されます。
なお、本研究成果は、Nature CommunicationsのEditor's highlightに選出されました。
4.発表内容
【研究背景】
氷は我々人間にとって最も身近な結晶と言えるでしょう。そもそも結晶とは、原子が規則正しく周期的に並んだ固体のことです。その並び方は無数に考えられるはずなのに、なぜそのうちの一つが実現するのか、不思議に思ったことはないでしょうか。多くの物質は、ある特定の原子や分子の並び方が他よりもエネルギー的に優位になるため、ごく少数の結晶構造のみが実現されます。一方、氷の場合には、エネルギー的に近い水分子の並び方が多数存在します。そのため、温度や圧力に応じて結晶構造の異なる多くの多形が出現するのです。さらに氷では、結晶格子点上に並んだ水分子の電荷の偏りの向き(双極子モーメント)にも自由度があり、水分子の向きの秩序化によっても異なる多形となります。この秩序化の仕方も無数に考えられるため、エネルギー的に近い分子配列が多数存在することは想像に難くありません。ところがこれまで発見された氷多形では、ある一つの無秩序相に対して一つの秩序相しか発見されておらず、氷が複数の秩序相をとるかどうかは大きな問題でした。そのような背景の中で、2018年に氷高圧相である氷VI(無秩序相)に既知の秩序相である氷XV以外にもう一つの秩序相が存在する可能性が指摘されました。しかし、この第二の秩序相の存在を直接示すような実験的証拠はなく、研究者の間でもその存在をめぐっては意見が分かれていました。
【研究内容】
氷VIの秩序相への相転移を観察し、かつ、その秩序相がこれまでに報告されている氷XVと異なる相であることを示すには、水素配置を詳しく知ることができる中性子回折実験を低温高圧下という特殊な条件で実施する必要があります(注2)。これまで氷VIの第二の秩序相が直接観察されていなかった主な理由は、この低温高圧下での中性子回折実験が技術的に困難であったためです。一方、氷中の水分子の動きおよびその秩序化は、誘電率の変化としても観測することができます(図2、注1)。誘電率測定では結晶構造はわからないものの、秩序化の検知は中性子回折測定より敏感です。そこでまず氷VIの秩序化の温度−圧力相研究を誘電率測定で網羅的に行いました。本研究では、新たに開発した誘電率測定用の高圧セルも導入しています(図2)。改良したセルは、誘電率とともに試料の圧力も同時に測れることが利点です。相図上に氷VIの秩序化温度をプロットすると1.6 GPa付近を境に、低圧側と高圧側では相境界の勾配が負から正に転じることが明らかになりました(図1)。このことは、これら二つの領域で異なる秩序相が出現していることを示しています。過去の結果と照らし合わせることにより、低圧側の誘電率の変化は氷VIから氷XVへの相転移、高圧側の変化は氷VIから新たな秩序相への相転移をそれぞれ示唆していることがわかりました。そこで、本研究グループでは、独自に開発した中性子回折用の温度圧力可変装置(通称Mito system(注2))を用いることで、1.6 GPa以上の圧力領域で粉末中性子回折実験を行うことにしました。実験は、J-PARCの物質・生命科学実験施設にある高圧ビームラインPLANET(注7)で行いました。その結果、氷XIXの結晶構造から得られる回折パターンには氷XVで説明のできないピークが複数存在することがわかりました(図3)。これらのピークは氷XIXの単位格子が氷XVのものよりも大きくなった(√2×√2×1倍)と考えると説明がつきます。よって、氷VIにたしかに第二の水素秩序相が存在することを初めて実験的に確認しました。新しい氷の多形には、新たなローマ数字が割り振られるため、この第二の秩序相は氷XIXとなります。詳細な構造解析の結果、氷XIXの結晶構造について空間反転対称性をもたない二つの構造を提案しました。そのうちの一つは、水分子の電荷の偏りが結晶構造全体でも打ち消し合われず現れます(図4)。この巨視的な電荷の偏りは氷に強誘電性などの機能性をもたらす可能性があります(注6)。
【研究の意義】
今回の研究から、氷VIという無秩序相が、複数の秩序相を持つことが初めて明らかになりました。この発見を機に他の無秩序相において、第二・第三の秩序相を探査する研究が進み、氷の多形の数がここ数年でさらに増えていくこと期待されます。そのような研究の中で、どのように条件を変えれば新しい秩序状態が誘起されるのかは非常に興味深いテーマです。今回のように圧力は分子の配向をコントロールする強力なパラメータですが、今後温度や水分子の電気双極子モーメントと静電的にカップルする電場などをコントロールすることによって新しい秩序状態が見つかるかもしれません。このことは氷の秩序化様式の意図的な制御という新しい展開を期待させます。水分子が生み出す豊かな電気的物性は究極的にクリーンな氷を用いたデバイスへの発想につながることが期待されます。
最後に、氷の研究の重要な側面である自然界での氷の存在形態についても紹介します。実は、他の多くの氷の多形と同様、この氷XIXが実際に自然界で観測されることは、あまり期待できません。1 GPaという圧力は、地球であれば地下約30 kmの深さの圧力に相当しますが、そのような地球深部の温度は高温であるため、-150 ℃以下の低温で安定な氷XIXは存在しそうにないからです。しかし、つい最近、天然ダイヤモンドの包有物中から、従来は自然界には存在しないと考えられていた氷VIIが見つかりました。この事実は、現在の知見のみから氷XIXが自然界のどこにも存在しないと断言することはできない、ということを物語っています。今回、氷XIXが安定に存在できる温度圧力領域を誘電率測定から決定しましたが、もし将来自然界で氷XIXが見つかることがあれば、今回得られた結果がその形成過程を紐解くための鍵となるでしょう。また、たとえ氷XIXが自然界には存在しないとしても、氷そのものを理解するという視点からは各氷多形の安定領域は重要な知見なのです。
氷は、最も身近な結晶ゆえに、これまで最も深く研究されてきた物質の一つですが、氷XIXの発見のように、未だに新たな事実が次々に見つかっています。我々が物質について知りえていることは、まさに氷山の一角に過ぎないという好例ではないでしょうか。
5.発表雑誌
雑誌名 | Nature Communications |
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論文タイトル | Experimental evidence for the existence of a second partially-ordered phase of ice VI |
著者 | Ryo Yamane, Kazuki Komatsu, Jun Gouchi, Yoshiya Uwatoko, Shinichi Machida, Takanori Hattori, Hayate Ito, Hiroyuki Kagi |
DOI番号 | 10.1038/s41467-021-21351-9 |
アブストラクトURL | https://www.nature.com/articles/s41467-021-21351-9 |
6.問い合わせ先
<研究に関すること>
<報道に関すること>
※上記の[at]は@に置き換えてください。
7.用語解説
(注1)誘電率測定装置と氷の秩序化による誘電率の変化
誘電率は、物質に電場をかけたときの電荷の溜まりやすさを表す物理量です。本研究では、図2に示すように、2枚の電極の間に試料を挟み、これを圧力セル内に封入しています。この電極間にさまざまな周波数の交流電場を印加し、高圧下での氷の誘電率を測定しました。水は比較的高い誘電率を示しますが、氷も電場をかけると水分子の電気双極子モーメントが電場の方向を向くように応答し、これによって電荷が溜まります。秩序化が起きると、水分子が決まった方向を向き、その方向からなかなか身動きがとれなくなるため、誘電応答が劇的に減少します。
(注2) 中性子回折と中性子回折実験用の温度圧力可変装置(高圧セル)「Mito system」
中性子回折は、中性子の原子による回折現象を利用した構造解析法です。中性子は原子の中の原子核と相互作用するため、電子と相互作用するX線とは異なる情報が得られます。例えば、X線回折の場合、原子番号の大きいすなわち電子数の多い元素ほど散乱強度が強くなり、逆に電子数の少ない軽元素は散乱強度が弱くなり見えにくくなります。特に共有結合の形成によって電子を失った水素(プロトン)からの散乱は極めて弱いため、プロトンの位置をX線回折で正確に決定することは困難です。一方、中性子回折では軽元素~重元素までほぼ同程度の散乱強度を持つため、水素を含む物質の構造決定によく用いられています。
本研究では、低温高圧下で中性子回折実験を行うため、「Mito system」と呼ばれる温度圧力可変装置を用いました。本装置は2009年ごろから本研究グループによって開発されてきたもので、試料付近をプレス本体から断熱することで効率よく試料の温度を変化できることに最大の特徴があります(詳しくはhttps://www.s.u-tokyo.ac.jp/ja/press/2020/6686/ 参照)。
(注3) 氷の多形の数え方と氷Ih
通常の氷は、六方晶系(hexagonal)の対称性を持っており、氷Ihと呼ばれます。これとよく似た構造で、水分子のレイヤーの積み重なり方が変わると、立方晶系(cubic)の対称性を持つ氷Icになります(詳しくはhttps://www.s.u-tokyo.ac.jp/ja/press/2020/6686/参照)。これら2つはそれぞれ別の多形とみなせますので、氷XIXは20種類目の氷多形ということになります。
(注4) GPaオーダー
パスカル(Pa)は圧力の単位。例えば、大気圧は約100 kPaで1 mm2あたり10gの重量がかかることに相当しますが、1 GPaはその1万倍ですから、1 mm2あたり100 kgの重量がかかることに相当します。
(注5) 氷XV
氷の高圧相である氷VIの水分子が秩序化することによって生じる秩序相の一つで、2009年に初めて報告されました。氷XVでは、全ての水分子の配向がそろっているわけではなく、一部の水分子がランダムな配向のままであるため(図4)、厳密に言えば氷XVは「部分秩序相」と呼ぶべきものです(詳しくはhttps://www.s.u-tokyo.ac.jp/ja/press/2016/4927/ 参照)。本研究で発見した氷XIXもまた部分秩序相ですが、このプレスリリースでは、わかりやすさを優先して単に秩序相と表記しました。
(注6) 空間反転対称性
結晶における任意の原子の位置(x, y, z)を(-x, -y, -z)となるように操作をしたとき、操作前と後とで結晶構造が変わらない場合、空間反転対称性があると言います。この対称性を欠いている物質では、例えば結晶の表と裏に自発的に正・負の電荷の偏りが生じ、その偏りを電場や応力で制御できる可能性があります(電場で電荷の正・負を入れ替えることができる物質を強誘電体、応力で電荷の偏りの大きさを変えられる物質を圧電体と呼びます)。よって物質の機能性を探る指針として、空間反転対称性の有無が一つの重要な目安となります。
(注7) J-PARCの物質・生命科学実験施設にある高圧ビームラインPLANET
J-PARCは日本原子力研究開発機構と高エネルギー加速器研究機構が共同で運営している大強度陽子加速器施設(Japan Proton Accelerator Research Complex)の略称。陽子加速器群と、物質・生命科学実験施設、ニュートリノ実験施設、ハドロン実験施設の実験施設群から成り、物質科学、生命科学、素粒子物理、原子核物理など幅広い分野の研究が行われています。本研究では、物質・生命科学実験施設の超高圧中性子回折装置PLANETを用いて実験を行いました。PLANETは、高圧に特化した中性子回折装置で、低温高圧下で十分な精度のデータを得ることができるため、本研究には不可欠な装置となります。
[ 付記 ]
各研究者の役割は以下のとおりです。
8.添付資料
図1:本研究で新しく明らかになった氷の温度-圧力相図と水分子の配向が無秩序な氷Ih(通常の氷)および氷VIの結晶構造。相図中の赤と青の点は誘電率測定の実験点。点線は、実験的に未確認な相境界線を示す。氷Ihの結晶構造で赤丸は酸素原子、白丸は水素原子を表す。氷VIの結晶構造では赤と青の二色で酸素原子が表されており、それぞれの色でグループ分けされた水分子は独立にネットワークを作っている。
図2:誘電率測定の原理の説明図、実際の測定データの例および新しく開発した誘電率測定用ハイブリッド型高圧セルの構造図。測定データでは、124 K近傍で誘電応答が劇的に減少し、氷の秩序化が起きていることを示している(誘電定数、損失は真空の誘電率で割って表示)。
図3:高圧下粉末中性子回折実験により測定した氷VIとXIXの回折パターン。115 Kと108 Kの間で相転移により回折パターンが変化する。特に、青の逆三角で表した2つの小さなピークが氷VIや既知の秩序相XVでは出現しえない回折ピーク(パターンの下部の黒と青の線はそれぞれ氷VI,XVおよび氷XIXの結晶構造で出現しうる回折ピークの位置を示している)。
図4:提案した氷XIXの結晶構造の一つ。氷VIの結晶構造の特徴である二つの水分子ネットワーク(赤、青)は保ちつつ、水分子の配向が秩序化している。ただ、部分的に無秩序性が残った水分子も存在し、完全な氷の秩序相ではない。紙面内の上下方向(c軸)が分極軸。